私がまだ幼い頃に、両親と姉は死んだ。姉は私の三歳上で、私をとても可愛がってくれていたらしい。
三人の死因は急性一酸化炭素中毒。無理心中だった。何故私だけ置いて行かれたのかはわからない。
あまり裕福な家ではなく、古くて狭いアパートで家族四人が暮らしていた。
事情は知らないが多額の借金があり、まともな金融機関からは相手にされなくなっていた。生活が立ちゆかなくなって、いよいよ闇金に手を染めようとした時、それを見かねた親戚が大金を貸してくれたという。両親は恩を感じていたけれど、ある時その人を死なせてしまった。不幸な事故だったのだけど、おばあちゃんはそれ以上詳しく説明してくれない。
親戚の家族からは激しく責められた。
「お金を返したくないから、殺したんでしょう、人殺し!」
ただでさえ生活に困窮していた両親は、生きていくことに絶望してしまったのかもしれない。恩のある人を死なせてしまった苦しみもあったのか。
そして、三人はいなくなった。私の前から、永遠に。
当時二歳だった私を引き取ってくれたのは、母方の祖母である。今も一緒に暮らしている、おばあちゃん。
おばあちゃんは、かつて母の結婚に反対して、勘当したらしい。だから私はひとりぼっちになるまで、おばあちゃんに会ったことが無かった。
「ごめんなさい、私があの子を許してやってたら、こんなことには……」
おばあちゃんは後悔しているようだった。
「この罪は、一生をかけても償わなくてはいけないわね。碧のことは、私が精一杯大事に育てます。それで許されるとは思っていないけれど」
父方の親戚は誰も私のことを気にかけてはくれなかったし、母方の親戚はおばあちゃんだけである。おじいちゃんはだいぶ前に亡くなったらしい。
小学校の時も中学校の時も、ずっと悲惨だった。
親戚のほうから噂が流れたのか、『人殺しの娘』として当然のようにいじめられた。先生に相談しても、全く私をかばってくれなかった。いじめられる方にも問題がある、と言うのだ。私が人付き合いに積極的になれないのは、いじめの経験から来ているものだけど、先生は私の陰気な性格が駄目だと言った。もっと明るく前向きになれ、と。
おばあちゃんも先生と話しをしてくれた。でも、あまりうまくはいかなかった。私は必死にお願いをして、転校させてもらった。なのに何故かすぐにまた『人殺しの娘』だという噂が広まり、いじめが繰り返されただけに終わった。
何をされるかわからないので、調理実習も、宿泊研修や修学旅行も、怖くて行けなかった。
学校に行くと、私のものだけいたずらされている。
机、椅子、ロッカー、靴箱、掲示物、学校に置いてあるもの全てが彼らの標的だ。
黒板には酷い言葉が書き連ねてある。
きっとそれを見ても先生はいつも通り、黙って消して授業を始めるだけだ。
給食には砂やゴミが入っていた。
私のあだ名は『殺人鬼』だった。その時そんな映画が流行っていたらしい。
私はだんだん学校に行かなくなって、自分の部屋に閉じこもった。
それから数年が経ち、最近はおばあちゃんとも食事の時くらいしか顔を合わせていない。
おばあちゃんは、私に優しくしてくれる。
一人娘が残した、ただ一人の孫だから。
だけど、私にはそれも嫌だった。何もかもが嫌だった。
本当は自分も家族と一緒に死んでしまいたかった。
生きたいと思ったことなど一度もない。
死ぬのは怖い。だけど、生きるのとどちらが怖いだろう。
窓からの光に、緑の石がきらめく。
「さつき……皐月って呼ぼう、あの人の名前」
なんとなく、ひらめいた。
女の子みたいかな、とも思う。
私にこの指輪をくれた人。風の中にいた、幻のような人。
とても優しい声だった。私とはまるで違う。
「碧、ごはんだよ」
突然ドアの向こうでおばあちゃんの声がした。
「今行く」
ぶっきらぼうにしか言えない自分が嫌いだ。
ギスギスした声が嫌いだ。
おばあちゃんは悪くない。
少し頼りないところもあるけど、保護者として、衣食住を保証してくれている。
ごはんだって作ってくれて、ひきこもりの私に、こんなによくしてくれている。
わかってるんだ。
だから、でも、もう今さら素直になんかなれない。
昼食は冷やし中華だった。
おばあちゃんは料理が上手である。子どもの頃は、いつか料理を習えたらいいな、と思っていたが、今の私の性格では永遠に無理そう。
きれいな錦糸卵を箸でつまみあげ、そんなことを思う。
十六歳の私は学校に行っていない。
ずっと春休みだ。
夏になったら、今度は夏休みだというのだろう。
そうしてまた、何も変わらない孤独な時が過ぎていくんだ。