第六章

この記事は約7分で読めます。

 ある時、いつも穏やかな表情で接してくれる先生に、
「どうせ先生には他人事なんでしょう?」
 と言ってしまったことがあった。
 うつは、健康な人にはわからない。どんなに苦しいのか、本当の意味でわかって貰えない。そう思っていたから。先生だってわかってはいないのだろう。
 とても失礼な質問だったのに、先生は笑った。
「もし他人事じゃなかったら。例えばここで、佐藤さんと同じ気持ちになって一緒に泣いていたら、誰が治療するの?  他人事だから治療できるんだよ」
 確かにその通りだ。私だって本当は、一緒に泣いて欲しいわけじゃなかった。私の八つ当たりに対する、鮮やかな返しは心に残った。本当に、優秀でいい先生だなと思った。
 市役所で福祉課の人に会った時、
「この間、佐藤さんのことで小野寺先生と話す機会があったんだけど、福祉の支援があれば佐藤さんはちゃんと子供たちを育てていけます、ってきっぱり言われちゃった。あの時は酷いこと言って、ごめんなさいね」
 と言われた。私の知らないところでそんな話になっていたのか、と驚いた。
 どうやら児童相談所も含めた話になっていたらしい。知らない間に孤立無援になっていたところを、先生が私の味方してくれたようで、嬉しかった。感謝した。

 時々、昔の知人などから小さな仕事が舞い込む。挿絵やちょっとした紹介文など。過去にはそんな副業もしていた。
 生活保護を受けていても、仕事をしてはいけないわけではない。収入の申告は必要になるけれど。
 でも今は、締め切りとか打ち合わせとか、気を遣う微妙なやりとりとかがとても重く感じてしまい、全て断っていた。受けてしまえば責任が生ずる。特に、まとまった文章はとても書けない。一日の大半は朦朧としているからだ。
「この才能を埋もれさせるのは惜しいよ。何かやったらどうかな。自分のペースでできることなら、やってみなよ」
 先生はそう言ってくれたが、仕事を受ける勇気は出なかった。
 先生は私のスケッチブックがお気に入りで、
「このスケッチブックをそのまま出版したらいいと思う。とても面白いから」
 と何度も言った。それは、医療関係者とか患者には面白いかもしれないけど……。
 辛いことばかり書いてあるし、死にたいとか消えたいとか殺してくれとか、マイナスな言葉でいっぱいだ。時々ふざけたことも書くけれど、真面目でプライベートな話も多い。だからといってきれいに書き直せば、それだけ真実味が薄れる気がした。イラストだけがほのぼのとしている。
 先生はスケッチブックを見て、時々声を上げて笑う。それが私には嬉しい。やっぱり今は先生だけが見るスケッチブックでいいと思った。

 先生には辛いことばかり話して、わざと心配かけようとしているみたいだけれど、嘘はつかないでいたい、できるだけ。
「佐藤さんは正直に話してくれるから」
 と言われたことがある。信頼されているのなら、私はそれを裏切りたくない。
 
 病気が軽快するまでには、時間がかかる。場合によっては何十年もかかる。死ぬまでかかるかもしれない。先生は、なんだかんだと慰めを言いながら、時間を稼いでくれているんだろう。いつもいつも、焦っている私に。私が急いで生き散らないように、先生は私に笑う。
 
 私の顔を見て、先生が聞く。
「疲れてる?」
 私は幼く答える。
「わかんない」
 疲れているのかも、もうわかんない。苦しくて苦しくて、「もういやだ」とだだをこねた。
「私、働けなくなって、全部中途半端にして投げ出して、引っ越してきたんだよ」
 私が言うと、先生は首を傾げた。
「中途半端はだめ? 中途半端でもいいと思えない?」
 私は首を振る。
「中途半端でもいい、って、人のことならそう思える。でも、自分のことだとできないの」
 そう、人が同じ事を悩んでいたら、私だって、中途半端でもいいんだよって言うだろう。でも、自分のことは許せない。
「わかるよ、自分のことだとできないんだよね」
 先生はそう言って、少し笑った。ああ、この人は私に似ているんだな、って思った。だから、初めて会った時に好きになったのだろうか。

 先生がこの病院にいるうちに、良くなりたい。だけど、なかなか良くならない。完治というものはないけれど、「小野寺先生の手で良くなった患者」になりたかった。
 突然、久しぶりに躁転した。今までも、突然画材とか買い込んだりしていたけど、今回は電化製品を次々に買った。オーブンレンジ、プリンター、電子楽器……。いつもより金額が大きいが、それで家計がどうなるか、判断できない。私は、購入した家電に名前をつけて、話しかけた。
 ほとんど寝なかったし。元気いっぱい。発病してから人見知りが酷くなっていたのに、知らない人にも話しかけた。躁転の自覚は乏しかったけれど、日々の出来事としてスケッチブックには書いていた。
 それを読んだ先生は、
「残念だ、これはとても、残念だ……!」
 と嘆いた。躁とうつの波を繰り返すのは、この病気にはとても良くない。しばらく躁の部分は落ち着いていたから、再び躁転したのが残念だったのだろう。
 診察中、ずっと笑ってる私に、先生は言った。
「それだけうつの時辛かったんだね。これだけの量、薬を飲んでいても、躁転してしまうなんて」
 私は笑いながらそれを聞いて、何故だか涙が出そうだった。

 時々私は、おかしな格好で病院に行った。服装としておかしいわけではないが、通常、病院に着て行く服ではない。あと、三十代の子持ちにはちょっと痛かったかもしれない。
 ある日は、ほぼ金髪のウィッグに、大きな黒サテンのリボン。ふんわりミニスカートにシャイニーベージュのトップス。レースやフリルがあしらわれている。
 これは先生が気に入ったようで、
「凄く可愛い! 似合ってる! どこにも行かないのもったいないから、おでかけしなよ」
 と言ってくれた。嬉しくて、その日の帰りはバスに乗らず、駅前まで歩いてみた。人通りも少なく、高齢化が進んだ田舎の商店街で、私は明らかに浮いていた。だけど、そんなことはどうでもよかった。
 他にも、真っ黒コーデに変な帽子だったり、いつもまるでコスプレみたい。
 私の服装を、受付の看護師さんがいつも楽しみにしていて、毎回先生に報告するらしい。
「看護師さんが、今日の佐藤さんは天使のような格好ですよ、って言ってた。確かにそうだね」
 先生が笑う。その日は髪にバラと羽根の飾りをつけ、マキシワンピを着た、純白花嫁コーデだった。
 先生は面白かったかもしれないが、やっぱりあの頃の私はかなりおかしかったなと思う。

 ずっと、疲れてる。頭の中がもやもやぐるぐるしている。自分がなんなのか、どこに立っているのか、どこに向かったらいいのか、何をしたらどうなるのか。
 先の見通しが立たないのが嫌。世の中の流れについていけてない。
 いろいろ混乱している。もう何がなんだかわからないんだよ。頭がいうことをきかないんだよ。自分の行動がまわりにどういう影響を与えるのか、想像してみることができない。考えることができないのは、怖いことなんだよ。いつも不安なんだよ。
 先生は言った。
「考えすぎるんだね。考えすぎて疲れちゃったんだ。考えるのやめてみよう?」
「考えないって、テキトーに?  いきあたりばったり?」
「そう! テキトーな二週間にしてみよう!」
 そういうのは苦手だ。もっと真面目に、誠実に、きちんとしたい。
「カルテに書いておくよ。テキトーな二週間を目指すって」
 先生はなんだか嬉しそうだ。私は困惑しながら言った。
「先生、私のカルテって、相当面白いこと書いているでしょ」
 先生は、うふふ、と笑った。
「じゃあ、テキトーな二週間を過ごしてね」
 でも、その後私は大混乱してしまう。まず、テキトーの概念がわからなかった。テキトーって何?
 今でこそいい加減な私だが、その頃はまだ真面目だった。
 これはテキトーなのか、それとも違うのか、それを考えてしまうことはテキトーとは言えないのではないか、でもこれもまた難しく考えすぎているのか……。
 あれでもないこれでもないと日々悩んでしまい、それが辛くなって、一週間しか経っていないのに病院に行った。
 先生は、私のぐちゃぐちゃな思考を書いたスケッチブックを読んで、
「すまなかった、私の一言で混乱させてしまって……」
 と言った。
「うう……」
 私は呻くだけだ。
 でも、それがきっかけで、少しずつ私はテキトーを習得していった。今ではかなり身についたのではないだろうか。いいことかどうかはわからないけれど。

error: ごめんなさい、コピーできないようにしてあります。