人は、節目の時にけじめをつけたくなるのだろうか。世間では、誕生日に自殺する人も多いという。私も、次の誕生日が来たら死のうと思った。そうだ、それがいい。思いついた瞬間は、最初からそう定められていたような気すらした。
それでも心のどこかでは、死を考える自分が怖かった。私だって死ぬのは怖い。痛いのも苦しいのも嫌だ。家族も初めは悲しんでくれるかもしれないが、あっという間に忘れていくだろう。それは寂しいと思う。
だけど。今この苦しみから逃れるためには、死ぬしか方法が無い。心も体も本当に本当に苦しくて、しかもこの苦しみは死ぬまで続くように感じられる。
もうすぐ死ねる。楽になれる。毎日その日を指折り数え、それだけを支えにしていた。
誕生日にこだわらずいつでも死ねばいいのだが、自分の誕生日の少し前に娘の誕生日がある。それは祝ってやりたかったから、まだ死ねない。娘にしてみれば、その時祝って貰っても、直後に親が死んだら台無しだろう。でも私はそんなことすらわからなくなっていた。正常な判断力なんて無かった。
時々、正常な瞬間もある。そんな時は自分が怖くなる。自分に殺されてしまいそうだ。できれば入院したかったが、子供たちをどうしたらいいのか、わからない。親は働いているし、近くに住んでいるわけではなかった。
私は、市内にある児童相談所に、相談メールを送った。匿名でもいいと書いてあったので、名前は書かなかった。メールの返事には私をいたわる言葉が並び、もっと詳しい話を聞きたいから連絡先を教えて下さいと書いてあった。けれども私は、それに返信をしなかった。
親の入院中、子供たちを預かってくれるところがあるのか。心当たりは、児童養護施設で預かってもらうことくらいだったが、本当にそれは可能なのだろうか。いずれ退院するとして、子供たちを連れて家に帰ってくることができるのだろうか。
素性を明かして相談すれば、家族が引き裂かれてしまいそうな不安もあった。
「本当にちゃんと子供たちを育てられるの? お父さんの方で育てて貰ったほうがいいんじゃない? それがだめなら、施設という手もあるし」
と、福祉課の人に言われたことを思い出す。
やっぱり生きていてはだめなんだ。私のせいでみんなが迷惑している。
頭の中がぐちゃぐちゃで、本当に死にたいのか死にたくないのか、入院したいのかしたくないのか、子供たちをどうしたいのか、自分でもわからない。何もわからない。もっとクリアな頭で、落ち着いた心で、考えたい。でもできない。
「このままじゃ、本当に私死んじゃう! 入院させて! 保護室でも何でもいいから、安全なところに閉じ込めて。誰か見張ってて! お願い」
病院に行って泣きつくと、先生は、それはできないと言った。
「入院させてあげたいけれど、ベッドに空きが無いの」
病院にもよるが、こんな希死念慮くらいじゃ、ここでは入院の基準を満たさない。いつも飄々としている先生が、少し辛そうに言った。
「何もしなくても、何をしてもいいから、とにかく生きて。生きてさえいれば、後は私も何とかしようと努力するから」
先生はそう言って、真剣な目で私を見つめた。私はぼんやりとした頭で、自分でも思わぬことを口走った。
「先生、頑張ったら、生きていられたら、ご褒美が欲しいな……」
「ご褒美? 何が欲しいの?」
「先生の写真が欲しい」
「私の?」
先生はそんなことしない。私を特別扱いはしない。それはわかっていた。とても真面目な人だから。お互いいつも、医者と患者としての線は意識している。
でも、先生は、わかったと頷いた。死ぬと言っている人の頼みだから断りにくかったのかもしれないが、精神科医なのだから、患者のわがままをあしらうことにも慣れているだろう。だから、先生が約束してくれたことが意外だった。
体が重くて潰されそうだった。指一本動かすのが辛かった。呼吸するのも苦しかった。
子供たちは、子供部屋で賑やかに遊んでいる。うるさいが、少し安心もした。私がいなくても、彼らは大丈夫だろう。彼らの心は、正常だ。私は、彼らを連れては行かない。無理心中はしない。彼らは幸せになるべき命だから。
頭の中には、死ぬための手段が思い浮かぶ。死ぬなんて簡単だ。自分が自分を誘惑する。死にたい、死のう。そんな言葉が頭の中にいつも響いていた。死ねば、この苦しみから解放される。楽になれる。何もできないのに、死ぬためなら、体が動くのだ。
私は死のうとした。何をしようとしたかは真似されると嫌だから書かない。人は追いつめられた時、過去に知った情報で死のうとすることが多いから。
いざその時になった。
ここから少し足を滑らせるだけで、全てが終わる。
一瞬、脳を貫くような多幸感。これで楽になれる。……さあ。
あの時、「生きて」と先生は言った。
そして私は死ねなかった。死ななかった。急に怖くなったのだ。冷たい手すりに現実を感じた。
私は本当に死ぬの?
どんなに辛くても苦しくても、この一日さえ乗り越えたら、私はまだ少し生きていけるはずだ。
誕生日が過ぎて、病院に行った。
「よく生きててくれたね。よく、また来てくれたね。本当に嬉しい。凄く心配だったんだよ」
なんだかとても長く、苦しい夢を見ていたようだ。
先生は、ご褒美に約束した、自分の写真はくれなかった。けれど、小犬の写真をくれた。
そこに、
「よくがんばりました」
と花丸を書いてくれていた。
先生は、
「私、犬が好きだから」
と照れくさそうに言った。生きてるかどうかもわからない私のためにわざわざ用意して待っていてくれたんだと思うと、本当にありがたくて、一生これを宝物にして生きていこうと思った。