・六月の朝に、君を偲ぶ

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───六月のある日に。

 

今日は死んだ友達の誕生日だ。

二十歳を目前に死んだ彼女の。

たぶん毎年この話をしている。

死んだのは病気でも何でもなかった。

何の予兆もなかった。

彼女は恋人に薬を打たれて、それであっけなく死んだのだ。

不幸な生い立ちの子だった。

だけどいつも笑顔だった。

いつか幸せになるはずの子だった。

 

彼女の家には電話がなかった。

小中学生の頃は、寂しくなると公衆電話から私に無言電話をかけてきた。

そういうのって、息づかいでなんとなく誰かわかる。

私が彼女の名前を言うと、いつも嬉しそうに、「どうしてわかったの!?」と驚いた。

不幸な家庭も知らず、人の気持ちもわからぬほど幼く、私はきっと彼女を傷つけたこともあっただろう。

でも彼女は時々電話をかけてきた。

その寂しさを思うと、大人になった私は胸が痛む。

 

美月と出会ったのは小学校5年生の春だ。

クラス替えで一緒になった。

色白で大きな目。

まっすぐな髪を鎖骨あたりで切りそろえていた。

見た目はちょっとキツい感じで、大人っぽくて美人だった。

美月は、私の親友の幼なじみ。

それで自然と仲良くなった。

どんくさくて人見知りな私を、彼女がどう思ったのかわからない。

でも、いつの間にか、親友を介さなくても仲良くできるようになっていた。

 

美月には両親がいない、と私は聞いた。

先生たちも美月については特別に配慮していたようだ。

時々私は美月を自宅に連れて帰った。

家に泊めたこともある。

私の両親は美月を受け入れてくれた、と思った。

でも美月が帰った後、母が「もう連れてこないほうがいい」と言った。

私は美月を否定されたように思って反発した。

彼女をよく言わない人もいたけど、母はそんなことないと思っていたから。

そうではなく、美月に平凡な家庭を見せることで、傷つけてしまうのではないかと母は心配したのだ。

私は本当に幼稚で何もわかっていない子どもだった。

私たちは、いつも私の家の近くで遊んだ。母の考えが伝わったのか、美月があまり家に来たがらなくなったので、小雨くらいならそのまま外で遊んでいた。

 

ある雪の日、美月は嬉しそうに言った。

「お母さんのいる場所がわかったんだ。私、引き取ってもらえるかもしれない」

私は美月のお母さんが生きていることを初めて知った。

お父さんも生きているらしい。

美月をどちらが育てるのかで、両親は揉めているようだった。

私は何と言っていいかわからなかった。

自分の理解を超えていた。

私は所詮、平凡な家の子である。

それから美月はまた親の話をしなくなった。

春になる頃、美月は言った。

「10年後の今日、ここで会おうね」

それが別れの合図だったかのように、美月は転校していった。

 

美月が一緒に暮らすことになったのは、駆け落ちして幸せに暮らしているお母さんではなかった。

両親とも、血がつながっているとはいえ、他人に近い。

一緒に暮らすことになったお父さんは、厳しい人だった。

最初は、お父さんが帰ってきてくれた! と喜んでいた美月も、次第に家出を繰り返すようになっていた。

家出をした美月は、しばらく売春業者に匿われていた。

13歳のことである。

しかし、日本の警察も無能ではない。

あっけなく見つかってしまった。

傷物扱いされて、もうまともな男には相手されないと、小さな街では噂になった。

昔だった。田舎だった。

でも、たった13歳の子どもに向ける目としては厳しすぎる。

 

その頃には私も引っ越していて、状況が何もわからなかった。

だからこれは人から聞いた話である。

 

ある日私は、ベッドに寝転んで音楽を聴いていた。

覚えていてね……、というどこにでもあるフレーズに、ふと、美月はどうしているかなと思った。

そして私は手紙を書いた。

それが届いた頃、美月から電話が来た。

「会いたい、うちに来て!」

私はその次の週に、美月の家に泊まりに行った。

美月とは、話も盛り上がり楽しかった。

ところが夜になると、美月が、今夜家出をするという。

「今ならきっとお父さんは油断してる」と言う。決心は固いようだった。

「あかりはここに残ってても良いよ」と言われたが、子どもの友達が泊まりに来ても姿を見せない、どんな人かわからないお父さんと二人きりにされるのは怖かった。

私たちは、窓から外に出た。

そして、映画の中の泥棒みたいに、身を隠しながら美月の家から離れた。

 

こんな夜空は見たことがない。

深く、高く、そしてきらめく。

美月と手をつないで、どこまでも歩いた。

 

そして、当然のようにすぐ私たちは見つかり、私と美月は会わせてもらえなくなった。

 

その後、私と親友は同じ高校に進学した。

美月は、高校へは行かなかった。

私たちが高校生活を送っている頃、公衆電話から親友に電話をかけてきて、住み込みで働き始めたと報告してきたらしい。

思えば美月はいつも電話の無い暮らしだ。

こちらから連絡がとれない。

 

そしてそれっきり、数年の間、親友にも私にも連絡は無かった。

次に美月のことを聞いたのは、彼女が死んだ時である。

 

早朝の5時に、我が家の電話が鳴った。

たまたま私の部屋から電話が近かったので、寝ぼけた目をこすりながら出ると、親友だった。

親友はいきなり言った。

「美月が死んだって!」

最初はぽかんとしたが、意味がわかって呆然とした。

「朝早くにごめんね、新聞見たら、美月の名前があって……」

親友は教育実習中で、早起きして新聞のチェックをしていたところだった。

もっと話したいけど家を出る時間が迫っているから、と親友は電話を切った。

美月には何度も会いたいと思った。

いつか会えると思っていた。

それから、新聞の片隅に、小さな事件の記事が載った。

暴力団員が、19歳の女の子に薬を打って死なせたという。

当時の19歳はまだ未成年だったから名前は伏せられていたけれど、それが誰か、みんな知っていて。

10年後また会おうという私たちの約束は……守られなかった。

 

あの夜の果てに、二人で辿り着いた公園のベンチに座っていると、まるで彼女がまだそこにいるみたい。

けれど人々は静かで穏やかで、美月が死んでも、何も変わっていないように見えた。

人は死ねば、まるでいなかったかのようになる。

美月は、美月の人生は幸せだったの?

ずっとその問いが胸の中から消えない。

思い出の公園に花は咲いて、それは今も、今年も鮮やかに。

そして、六月の朝、君を偲ぶ。

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