友花②

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 水が滴っている英の髪をもう一度拭き直すと、私はドライヤーのスイッチを入れた。
 熱すぎないように、手を添えて乾かしていく。
「熱い?」
 私が聞くと、
「大丈夫」
と英が答えた。
 きっととても疲れているんだろうなと思いながら、心を鬼にしてしっかり乾かす。
「疲れた?」
 私が聞くと、英は少し微笑んで、
「友花、いつもありがとう」
と答えにならない言葉を返した。
 髪がしっかり乾いたので、私は寝ることを許可した。
 薬を飲み、素直に寝室に消える英。
 私は、洗い物をして、お風呂に入り、洗濯をする。
 洗濯と言っても、乾燥機つき洗濯機なので、たたんでしまうだけだ。
 その間にレンと遊ぶ。
 昼間遊んでもらえなかった日は、ちょっとしつこい。
 それからモップで簡単に拭き掃除をする。
 のんびりテレビやDVDを観たりということをしばらくしていないが、英が待っている気がして寝室に向かう。
 英はもう眠っているのに、私はおかしい。

 翌日、英は私より前に起きて、レンにごはんをあげていた。
 いつもより長かったうつが抜けたのだろう。
「おはよう」
英が言う。
「おはよう。良くなった?」
「うん、大丈夫」
 私は近づいて行って、英の頭をぽんぽんした。
 癖である。
「なぁに?」
「よろこびを表現してみた」
 英は笑った。
 笑顔が元気そうだ。良かった。
 でも、元気になりはじめた時は危険でもある。
 うつのどん底の時には動けないけれど、元気になったら自殺する行動力も出てしまうから。
やっぱり心配になってしまう。
「大丈夫、今は死にたくないよ」
 私の心を見透かしたように英は言う。
 私はほっとする。

 今日は出勤するところを、レンと一緒に送ってくれた。
 こういうところを見られると、職場で冷やかされる。
 でも途中まででも送ってくれるのは嬉しい。
 病院では姉妹ということにしてあるけれど、全く信じてもらえない。
 でも、理解はしてくれているようだ。なぜかはわからない。土地柄だろうか。

 一週間くらい、英がそのまま元気そうだったので、後輩の凛恋さんを家に連れて来てもいいかと聞いてみた。
 英は、
「もちろん!」
と快諾してくれた。
「夕食うちで食べるでしょ? 何にする? 鍋? お酒飲む?」
と、楽しそう。
 金曜の夜に、一緒に買い物に行こうと約束する。
 近いところに二十四時間開いているスーパーがあるのだ。
 あんまりプライベートで患者さんに会いたくない私は、夜に買い物をすることが多い。
 私は言った。
「凛恋さんに会ったらきっとびっくりするよ。英にそっくりだから!」
「ほんと? それは楽しみだなぁ。どのくらい似ているんだろう」
「姉妹でも通るくらい」
「それはすてきね」

 家事を終えて、寝る支度を終えた英が、寝室に入って来た。
 静かに横になると、しばらくして寝返りを打ち、私のパジャマの袖をひっぱってくる。
 私は英のほうを向くと、その手をとって両手で包み、英の顔を見た。
 暗い中で、英の大きな目が濡れたように光る。
 黙ったまま、二人で見つめあった。
 きれいだ、と思った。
 歳を重ねても、英の魅力は衰えない。
 思わずぎゅっと抱きしめる。
 英の腕が背中に回り、私を抱く。
 どうして離れていた時間があったんだろう。
 答えはずっとここにあったのに。
 英と再会する前、私は職場の上司との不倫に疲れ果て、ようやく別れたばかりだった。
 そんな私のところに、英が現れた。
 英は私のことを、ずっと長い間好きなままでいてくれたのである。
 私は英のその気持ちを嬉しく思ったが、それだけだった、はずだった。
 でも、英の存在は私の癒しになった。
 私は次第に英と一緒にいたいと思うようになった。
「その人が自分に必要かどうか、それだけだよ」
 昔、人間関係に悩んでいた英に言った、その言葉を思い出した。
 英は自分にとって必要な人だと思った。
 男でも女でも、英は英で、私にはそれだけで充分だと思った。
 女医はなかなか結婚できないという説がある。
 私もなかなか縁に恵まれなかった。
 必要と思える人に出会えなかった。
 そして、初めてそう思える人に出会ってみたら……。
 彼と別れた私は転勤することを選んだ。
 転勤するまで、別れた上司と仕事をしなくちゃならなかった数ヶ月は、とても辛かった。 彼はずっと何もなかったような顔をしていた。
 英がいなかったら辞めていたかもしれない。
 引っ越す時に、私は英を連れて来た。
 英は私のわがままに応えてくれた。
 その時はまだ、愛だとか恋だとか、関係なかった。
 ただ、いてくれたらいい、それだけだった。
 私を抱きしめていた英の、腕の力が抜けていった。
 いつの間にか寝息をたてている。
 英の寝顔が好きだ。
 苦しみから束の間解き放たれた、その寝顔が。
 私は英の髪を撫でて、愛しいと思う。

 凛恋さんと英はすぐに仲良くなった。
 人見知りの英にしては珍しかった。容姿が似ているからだろうか。
 少しはしゃいでいた英を心配しながら、でもたまにはこんな日がないとつらいだろうと思った。
 私はあまり英の生活についてうるさく言わない。
 精神科医としてはダメかもしれないが、英の前ではただの人間だ。
 また寝込むにしろ、躁転してしまうにしろ、私はできるだけサポートしようと思う。
 英が生きやすいようにするのが、私の役目だと思うから。

 

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