あの頃、バラの咲く街で第八章 私は社会復帰がしたかった。仕事をしたい。働くことは好きだし、世の中の役に立ちたい。生活保護も早く抜けたい。 だけど、先生はまだ働くのは無理だと言う。 それなら、自宅療養の時間を何か有意義に遣えないかと思った。例えば、就職に役立つような資... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第七章 病気が激しくなってから、私は異性関係が荒れていた。 どうでもいい男と意気投合し、翌朝には冷めて別れるようなこともしていた。 別に誰とでも寝たわけではない、キスもセックスもどうでもよかった。心も体も気持ちよくできる人なんてそうそういないこ... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第六章 ある時、いつも穏やかな表情で接してくれる先生に、 「どうせ先生には他人事なんでしょう?」 と言ってしまったことがあった。 うつは、健康な人にはわからない。どんなに苦しいのか、本当の意味でわかって貰えない。そう思っていたから。先生だってわ... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第五章 人は、節目の時にけじめをつけたくなるのだろうか。世間では、誕生日に自殺する人も多いという。私も、次の誕生日が来たら死のうと思った。そうだ、それがいい。思いついた瞬間は、最初からそう定められていたような気すらした。 それでも心のどこかでは、... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第四章 遂に月々の支払いができなくなり、クレジットカードも止まった。毎日のようにカード会社から督促の電話がかかってくる。電話が鳴るのが怖くて、子供たちが家にいる時はなるべく電源を切っていた。 入って来るお金は、家賃にも足りない月2万円の養育費と児... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第三章 少し良くなったり、ぶりかえしたりを繰り返しているうちに、いつの間にか気分の波が止まらなくなっていた。躁とうつが混ざったみたい。これをそのまま「混合状態」と呼ぶ。 ストレスが多い日々のせいかもしれないし、わがままを言って出して貰っていた抗う... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第二章 病気が悪かろうと、失恋しようと、現実はいつも容赦がない。 とにかく生活費が心配だった。クレジットカードでのキャッシングと親の援助でどうにかしのいでいたが、そんなことがいつまでも続くわけがない。キャッシングは、結婚生活の中で元夫が生活費を入... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で
あの頃、バラの咲く街で第一章 札幌近郊のこの街の病院で、私と彼女は出会った。 新年度が始まったばかり、北国では雪が解けきって間もない頃である。 ここに引っ越す前の私は過労からのうつ病と診断されていて、一年ほど投薬治療を受けていた。 三年前に離婚してから、二人の子供... 2024.08.15あの頃、バラの咲く街で