英①

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 友花が仕事に行ってしまったあと、私は朝のぶんの薬を飲んだ。
 一包化された薬は全部で7錠。まとめて口に放り込んだ。
 子どもの頃は1つずつでもなかなか飲めなかったのにな、と思いながら、多めの水で流し込む。
 それから、言われた通りにベッドに戻り、横になった。
 こうしていると、入院しているみたいだ。
「三食昼寝付き」
 昔、本で読んだ言葉を思い出す。
 私は目を閉じた。
 静かだ。レンも静かにしている。
 レンは、私がここにいるときは、遊んでもらえないのをわかっている。
 いい子だ。
 小型犬、室内犬が苦手な私だが、レンは可愛い。
 ペットショップで、友花が目をきらきらさせて、連れて帰ると言ったのを思い出す。あのときは本当に嬉しそうだった。
 私は思い出して少し笑った。

 昔、友花が転勤で私の前からいなくなってしまった時、私はすごく悲しくて、よく泣いていた。私は友花が大好きだったから。先生としてだけじゃなく。
 男か女かとか、医師と患者だとか、あんまり関係なかった。
 私は、好きだから好き、なんだと思っていた。
 それはいなくなる前の友花にも何度か言ったことがあって、その度に友花は、
「ありがとう」
って微笑んだ。
 その時のことを思い出すと、なつかしい優しい気持ちになる。
 うつで寝込んでいるときには、死にたかったり、悲しい辛いことばかり考えがちだが、友花との思い出がずいぶん慰めになってくれている。
 友花と再会したのは、出会ってから十年くらい経った頃。
 私が髪を切って後悔していたことを覚えていたらしく、
「髪、伸びたね」
なんて、冗談を言ってくれた。
 私は十年経っても友花のことが好きで、全然忘れることができていなかったから、再会したその日に、今でも好きってことを言った。
 友花はすごく傷ついていた時期で、私の言葉が嬉しかったらしい。
 その日からやっと、私たちは、医師と患者ではない関係として向き合うことができたのだ。
 友花の転勤の時に、私は友花についてきた。
 今度の旭川では当分転勤の予定がないらしく、今までより少し広い、ペットを飼える物件を選んだ。
 その頃から、友花は私のことを、冗談で「妻」と呼ぶようになった。
 単純にルームシェアしている仲ではない、ということなのだろうか。
 私は、私たちをレズビアンだと思ったことはない。
 バイセクシャルと思ったこともない。
 男でも女でも、友花だから好き、というそれだけだ。
 それはきっと伝わっていると思う。
 ……。

 少し眠っていた。
 夜に中途覚醒してしまうぶん、日中に眠ってしまう。
 疲れるからというのもある。
 生きているだけで疲れるのだ。
 これはもうどうしようもない。
 主治医は、夜眠れなくなるから昼寝をするなというけれど、そんなこと、無理だと思う。
 友花は、無理せず休みなさいと言ってくれるが、それは主治医には内緒だ。
 それぞれの医師の方針というのがあるのだから。
 こうして寝ているのも申し訳ない、何かしなきゃという焦りはあるけれど、無理をするとまた友花に怒られる。
 でも、友花が帰ってくる前に、夕食くらい作っておきたい……。
 私は力を振り絞って身を起こすと、ふらふら台所に向かった。

「英! 英!」
 声がして、肩が揺さぶられる。
 私は目を開けた。
「ああ……友花だ」
 自分の間抜けな声に、ちょっと笑う。
「笑い事じゃないよ、どうしたの?」
「晩御飯、作っておいたよ」
「それは見ればわかるけど……」
 私は台所の床に倒れていた。
「できた瞬間、力尽きて、ベッドまで戻れなかった」
 床は適度に冷たくて、気持ちが良くて、目を閉じたら眠ってしまったらしい。
「玄関まで迎えにいけなくてごめんね」
「そんなことはいいの! ……レンが吠えてたの、気づかなかった?」
「うん……全然」
「これは重症だ」
 友花はそう言うと、私の体を起こした。
 もちろん、冗談である。
「今日のメニューは何?」
「煮込みハンバーグ」
「ひき肉から?」
「うん」
「もー。寝てなさいって言ったでしょう」
「だって3食カロリーメイトとか……」
「お昼はカップ麺を食べました!」
 友花は自慢げに言った。

 夕食は少し食べた。
 でも、あんまり味を感じない。
 何を食べても、おいしい! という気がしない。
 調子が悪いとこうなる。
 だから、料理の味付けもあやしいので、本を見ながら、ちゃんと計量して作る。
「友花、おいしい……かな?」
「おいしいよ!」
 友花はうれしそうに言ってくれる。
 私はほっとして、友花が食べているのをじっと見ていた。
「どうしたの? まだ食欲ない?」
「なんか、いいなって」
「なに?」
「友花の妻で良かった」
「あはは」
 友花は笑いながら、残さずきれいに食べてくれた。
 
 うつ状態の人の、最大の難関はお風呂だろう。
 これは絶対ほとんどの人がそうだと思っている。
 せめてシャワーを浴びないと、一緒に寝ている友花に申し訳ないから頑張るけれど、1人で暮らしていた頃はそうではなかった。
 今でも浴槽に身を沈めると、このまま溺死したらどうなるだろう……とわざと眠ってしまったりしてしまう。
 だから、うつの間はシャワーで済ますことが多い。
 頭を洗ったところで疲れてしまうが、一生懸命、体も洗う。
 もう嫌だ、たくさんだ、と思いながら浴室を出て、適当に体を拭いて着替える。もちろん、長い髪は濡れたままだ。
 肩にバスタオルを巻いて、居間に戻ると、友花が私を椅子に座らせる。
 テーブルの上に基礎化粧品を入れたカゴが用意されていた。
「置いといたよー」
 友花が言う。
 仕方なく塗り始める。
「私が、髪乾かしてあげるから」
 友花が言って、ドライヤーを持って来た。
「ほっとくと濡れたまま寝るでしょう」
 本当は今すぐにでも横になりたい。
 顔に出ていたのだろうか、友花は、
「風邪ひくから、まだダメ」
と言った。

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